ホリスティックサロン エストレーラ☆ギアblog

健康の問題に対してホリスティックなアプローチよりボディ、マインド、スピリットを調和へと導き本来の自分力を取り戻す事を目的とした情報発信ブログです。

病いという観点から社会をみる

病いという観点から社会をみる

 

今、日本の社会ではたくさんの病いが広がり続け

精神疾患者数だけでもは400万人弱と言われており、過去十五年でやく倍にまで

増え続けているとう統計があるようです。

癌や認知症などのその他の疾患と合わせると一体どれほどの方が

病いを患っているのでしょうか?

 

このような状況に対して人生について違う目線で見て考えるべき時に来ている事を

社会の状況が問いかけているように思います。

 

超過労働の問題、教育の問題、貧困、経済格差など実に様々な社会問題が

日々の生活の中で私達にのしかかってきています。

これら政治的問題は自分の生活とは関係がない様に見えても

社会に生きる人々に共有されている全体の問題であり

一人一人の問題でも有ります。

 

 

例えば病いの人々が増え、鬱や精神的な問題を抱える人、

引きこもりになる人、不登校になる人などが

あまりに多くなってきていますがこれは社会問題であり

政治的な問題の要素も含んでいると思います。


これは大きな社会の全体性の歪みの結果であり

象徴的な事象ではないでしょうか。

 

引きこもりで働けない、学校に行けない、働き方があまりにも

搾取的で不条理を強いられているなど

社会の大きな枠組みの歪みが弱い立場の人から広がっている事を

象徴し今やこのような事は何処ででも目にする事ができます。

 

社会はどんどん窮屈になり、自分らしさや個性を発展する事とは逆に

窮屈な型に押し込められる事を強いられ、適応出来ない人は

自分が社会不適合者だと思わされているのではないでしょうか?

 

自信を失い、尊厳を失った結果自分らしさを失い生きる事へのモチベーションを

失っていきます。

 

このようなメンタリティー自体が病いにおかされていっている事を物語っています。

 

 

そしてあらゆる場面で完璧で良いクオリティーを求める事は重要ですが

始めから良いクオリティーを求めるがあまり挑戦する勇気や、自信をもてず

一歩を踏む出す事が難しい社会的風潮があるようにも思います。

 

しかし挑戦し失敗の経験から学ぶプロセスを無くして

 

より良い結果を得る事はできないのではないでしょうか?

 

勿論そのような事は気にせず自由意志を発揮出来る強い人もいますが、

 

多くの人はよくも悪くも周囲の空気を読める、調和を大事にする素晴らしい

日本人的気質が周囲のまずいと思う流れからも一歩先に踏み出す事ができず

足かせになっているように感じます。

 

しかし自分の意見や意思をはっきりと表現する事で新たなポジティブな可能性へと

発展させていく事は実際的に可能なことです。

 

しかしそれは単に相手を傷つけるだけのものとして発信する事では

より良い方向性へはいけません。逆に状況をより困難な方へと押し込めて

しまう事になります。

 

 

本来、自分の望む事に挑戦したり、自分の意志表示をする権利は

誰にでもあります。

 

個人差はありますが平均的な日本人の気質に対しても教育の影響も

あるのではないでしょうか。

 

本来人間力を高める教育がとても重要だと思いますが、

 

個性を伸ばし、人間力を高める教育方針で学校運営をされている所も

 

全国には多々あると思いますがそれでも十分ではないように思います。

 

日本の社会全体でみると現代の一般的な風潮では

残念ながら人の精神的な力を押し込め、自由意志を発揮させる事を妨げるような

方向性の教育現場が多いのではないでしょうか。

 

この教育の問題はとても重要で子供達は将来の日本の方向性の要であると

おもうのですが教育分野にも政治的要素が強く影響し生きた時代の政治的な判断や

流れによって教育自体が左右され、教育の方向性そのものが間違って

しまう事もあります。

 

その結果人生そのものが知らずのうちにコントロールされ、

 

人の人格形成にも影響をもたらします。

 

これはとても危惧する所で

このように何かしらの偏った教育により人格形成に影響を与えられて

成長する事でより限られた範囲でしか物事を考えられないようになり

本当の事が見えなくなっていきます。

 

自己の本心や自分の意思が正しい場合でも周囲の雰囲気や社会的概念を

優先させてしまい結果的におおきな葛藤を生み出し自分の意思を尊重できずに

周囲の雰囲気や社会的概念との狭間で身動きが取れなくなり、

結果大きな精神的苦痛を伴う事になります。

 

その社会的概念自体がメディアや情報によりコントロールされている

場合でも皆がそうだから、社会がそうだからと言って

考える事なく従い続けた結果、待ち受ける現実が悲惨な状態であったら

どうなる事でしょう。

 

現代の政治が主導する社会が良識にかけ、誠実さを失うのであればそれに

従う事で得るもの何も有りません。

 

市民の労力や良心、善意を踏みにじられる事がないように個々の意思表示が

とても大事になって来ると思います。

 

その事が個々の人生を守る事につながり健康を守る事にも繋がります。

 

これほどストレスや病いが社会に蔓延し人々が苦しんでいるのは

天災では無く管理社会の一部の人達によってもたらされた日本の国家運営の

 

結果なのかも知れないからです。

 


何も考えずに社会的風潮に従い、しだいに自分自身を見失い魂を抜かれた様な

 

状態になり送る人生には必ず大きな葛藤と苦しみが待ち受けています。

 

結果、今の日本では自殺者の問題、家庭崩壊、虐待、精神疾患、過労など様々な

問題を抱えていますがこれはもはや病いに伏せる個人の問題だけでは無く社会の

何かがおかしい事を物語るには十分なのではないでしょうか。

 

物質至上主義的で効率や生産性重視のシステムが多くの物質的豊かさを

もたらせてくれた事は事実です。

戦後の何も無い時代からこのように発展をとげ物的豊かさが人々の幸せに

貢献して来た事は事実であり、先人達の努力の結晶であり後に続くより若い世代

の人たちは先人達に感謝しかありません。

 

しかしそれだけでは本当に人が幸せになれないという事実を現代社会が

物語っています。

 

過度に効率や生産性を求め急ぎ過ぎた為に地球環境は壊滅的な状態へと陥り

地球全体が汚染され地球が病んで行けば当然その地球に生きる人々も

病いにおかされていってしまいます。

 

地球環境を守る事や人の心が豊かになり、幸せになる事は同じ方向性に

あります。

 

そしてそのような方向性に進むには物質至上主義や生産性のみ

を求める事だけでは不可能な事だと現代社会が十分すぎる程

証明しているのではないでしょうか。

 

ではここでこのような現代社会に一体何が必要で

時代は何を求めているのでしょうか。

 

 

個人的には人々が正しい心の在り方を取り戻す事が

重要な鍵を握っていると感じています。

 

人が幸せになる為に心豊かに生きる為に、健康な生活を送るために

 

どのような方向性を目指し生きて行くべきかを本当に考える時に来ています。

 

政治など国家運営をする人々や企業家たちが政策や方針を打ち立てる時に

良識をもち、誠実さと善意を忘れずに心が伴う提案をするならば状況は

必ず良い方向へと導かれるはずです。

 

しかし現実は決してそうではありません。当然素晴らしい志を持つ人が

多くいるとは思いますが、経済や政治的な分野になるほど、一部の

力の有る人の利益を優先させるような方針に偏りより多くの人は一部の力を

豊かにする為に使われる様な社会構造が完璧に構築されています。

 

このような社会構造に対して各個人も盲目的に大きな流れに従う事だけではなく

目覚めて行かなければなりません。

 

社会の大きな流れや風潮に盲目的に従い身の心もボロボロになり

心身共に擦り切れ病いに伏せても最終的には全て自己責任です。

 

私達の尊厳や健康を守る事は権利であり、時には自己表現をする事は

生きて行く上でとても大切な事です。

 

自己表現ができず、精神的な力を閉じ込め、フラストレーションをため続ける事で

行き着く所に光は有りません。そのように進み行き着く所は病いの世界なのです。

 

このように病いにも心の状態が大きく関係しています。

この今の時代だからこそもう一度心を取り戻し心の豊かさを発展させる方向

へと舵を切らなければ今後私達の日本社会はさらにますます困難な状況へと

陥り人々はさらに壊れていってしまいます。

 

超過労働の問題、教育の問題、貧困、経済格差、家庭崩壊、鬱などの精神疾患

自殺など沢山の社会的問題がある中でもう一度人生の主導権と魂を取り戻し、

心を開き自分らしく生きて行く権利が皆にある事をあらためて自覚し

健全で健康な社会を取り戻せるよう各人が目覚めて新しい方向性を模索して

いく事が求められているのではないでしょうか。

 

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選挙が近づいていますが、選挙は社会に自分の意思表示をする絶好の機会 です。

特に未来がある若い世代程、始めから諦めてしまう事無く

自分の人生を振り返り社会情勢を見渡し自分の意見を選挙にぶつけ自己表現を

をするにはとても良い機会ではないでしょうか。